2月が終わってしまいました。
わかっちゃいたけどあっという間です。
自分の誕生月だからか2月はすきなのですが、いつもあっという間でちょっと寂しい。
23回目の誕生日もいろんな人に祝っていただきました。ありがとうございます*
こんな自分の側に人がいてくれることがなんかしみじみありがたいな...と思う次第です。
もっと他人を思いやれる人間になれたらいいね、23歳のわたしよ。
今年の2月があっとゆー間だった理由のひとつ、それは個展です。
11日〜23日の間、地元中の地元、奈良のもちいどの商店街にある藝育カフェsankakuにて、3回目の個展となる『トレーシングカラーズ』を開催しました。
遅くなりましたが、個展にお越しくださったみなさま、ありがとうございました。
ワークショップに参加してくださった方々も、刺激をいただきました。ありがとうございます。
そして山本ご夫妻。ひたすら感謝です。楽しかった!ありがとうございます。
今回は写真大くらいの小作品を20点と、以前から描きたいと思っていたモチーフを形にした大きめの作品を新作として展示しました。
その他に以前つくった作品3点と、オブジェ(?)的な役割でそこいらにカイコちゃんクッションを。
あとちょこっとグッズも販売させていただきました。
毎回思うことですが、やりたい!と思っていたことの6割くらいしかやりきれなかった...。
まだまだだなあと不甲斐無く思います。
常に頭と手は動かし続けていないといけないなーと。
自分で今後課題としているのが「コトバ」を扱えるようになるということ。
今回初めて、小作品と一緒に少し「コトバ」を置きました。
本来言葉には意味が付属します。
意味の無い言葉にも「意味のない言葉」という意味があったり...。
言葉や意味について考え出すと禅問答のような答えようのない疑問で頭が一杯になってしまい、こんがらがってしまうのですが。
そんな「言葉」から、本来もっている「意味」をはぎ取り、抽象化したい。
そんなことをずっと考えていました。
普段生活する中で目にする言葉や文章は、大半意味があからさまで、受け手の解釈に何の余地も許さない感じがします。それらは宣伝文句であったり「伝えたい」という思いから出る文章だからそれで普通なのかもしれません。(肝心なところではっきりしてほしいことはあやふやなことが多いですが)
ですがそれがなんとも窮屈で、五月蝿く感じていたときに、「詩」というものはすごく心地よく感じられました。
読んでいる人に、如何様にも捉えられるようなゆるやかな言葉の連なり。
中には強烈なものもありますが、その時に伝わってくるものは「意味」というよりも「イメージ」だと思っています。
受け取った人の頭の中でもう一度思い出された時に、情景が広がるような言葉。
そんなものが理想としてあります。
こうやって改めて考えたときに、この考え方はアートワークをつくっている時の思いとも同じだと気づき、コトバとアートワークを一緒に展示したいと思いました。
まだ今回の展示ではやりきれませんでしたが、それでも何か少し感触はあったので、今後も続けていこうかと。
普段からこうして使っているのに、なかなか難しい、言葉。
この記事のタイトル「春が来たなら どうしよう」は、最近読んでいる立原道造の詩集の中で気に入った言葉です。
どうしたらこんなに心地よいものがつくれるのかなー。
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